気まぐれ日記 03年12月

03年11月はここ

12月2日(火)「しのぶさんを奪われた銀座の夜の巻」
 昨年会社を早期退社した知人と、1年ぶりに会う約束をしていた。お互いに忙しすぎてなかなかスケジュール調整ができなかったのが、ようやく実現した。
 今回の上京では初めて三井アーバンホテル銀座を利用した。午後7時にロビーで落ち合う段取りだった。その7時にエリクソン(注:私のケータイ)に電話が入った。雲を突き抜けるほどの明るい音調で、「あっはっは。まだ横浜にいるんですよ〜。これから向かいますから、30分ぐらい遅れるかな〜。いや、ごめんなさい」だった。遅刻の通話にもかかわらず、私はうれしくなってしまった。
 昨今、大企業には早期退社という制度がある。これまでの自己都合退社では、退職金などに不利な面が多かった。ある年齢まで勤めてからの定年前の退社に対して、プレミアムをつけてくれるのが早期退社制度である。長寿命化にともなう高齢化社会である。人生の転機を早目に設定して(つまり転職して)、第二の人生を歩もうと考えている人にとっては、そこそこの準備金ができて都合が良いし、世間体も悪くない。もちろん、企業にとっては、プレミアムをつけてでも以後の労務費を抑え、その分で生きの良い新人を複数採用できる。双方にとってメリットのある制度だ。
 その、多段ロケットの何段目かの発射ともいえる早期退社をした知人との再会だった。その後の状況が気になっていた。私より1歳上である。
 30分後に現われた知人は、電話の声と寸分変わらぬ元気さで、いや声だけでなく、風貌も退社前よりいっそう若返った感じで、彼の今の状況を、私はあらためて確認する必要がないのを感じた。和食レストランで食事しながら、私は会社の動向を伝えることに専念した。
 それから半年ぶりの貴族へ向かった。
 今夜は、天宅しのぶさんと私の新たな相棒「エリクソン」を肴に語り合う予定であった。着メロを始め、ケータイの音楽環境に関わる仕事をしているしのぶさんなので、彼女も推奨するエリクソンを話題にすることは、二人の仲をさらに親密にするのではないかと大いに期待もしていた。
 ところが、ところが、である。ここにとんでもない伏兵がいた!
 同伴した知人は、その道のエキスパートであった。私がエリクソンを自慢げに取り出した直後には、彼のポケットから「FORMA」がその不気味な容貌を現わし、飛びぬけた性能を誇示するはずだったエリクソンの影を薄くしてしまった。続いて、しのぶさんのしている仕事に関して、「音楽データのサンプリングレートはどれくらい?」「44kHzです」などなど専門用語が飛び交い、私の存在は蚊帳の外となってしまった。次々にやってくる女の子も、彼の話に尊敬のまなざしを向けるばかり。挙句の果てには、しのぶさんまで、「この店で、こんなに専門的なことが通じるお客さんに会ったのは初めて」と言い出す始末。
 イジイジしている間に、しのぶさんが自分のケータイで私と隣りの女の子「葉子ちゃん」の写真を撮り、それをフォトミキサーで加工して、エリクソンに送信してくれた。地下にある貴族で通信できるのは、今でもauだけらしい。早速再生してみると、落ち込んだ小説家の写真が挿入されていた。
 ホテルに戻り、部屋に備え付けてあるインターネットやり放題のパソコンで2時までメールしまくった。

12月3日(水)「半導体技術の展示会で和太鼓の演奏を見るの巻」
 エリクソンにセットした「雪の華」で、7時に起きて(偉いなあ)シャワーを浴びたりコンビニで買っておいた朝食を摂ったりしてから、早々とチェックアウトに向かった。
「部屋の冷蔵庫をご利用されましたか?」「え? 冷蔵庫、あったの?」「はい。引き出しの下にあったと思いますが・・・」年とってぼけると色々な症状が出るものだ。若い頃には想像もできなかったことだ。ふん。
 二日目の仕事は、幕張メッセで開催中のセミコン(半導体技術の大規模な展示会)見学。セミコン見学は初めてだ。来年からの新しい仕事のために、知識を深め見聞を広めるのが目的である。
 事前に立てたスケジュール通りに海浜幕張に着いたのだが、開場前だった。これなら、もう30分は寝坊できたぞ、おい。開会式では業界の景気回復を力説していた。長い不況を経験しているビジネスマンにとって、昨今の多忙は歓迎に値するものだろう。私もそう思うし、どうかこの堅調ぶりを大事に維持し、うたかたの泡沫で終えないでほしい。
 昼の休憩時に、入場口付近で東京大江戸**会の太鼓の実演があって、30分間、全身が釘付けになった。男も女も誰一人視線をさまよわせる者はなく、全員が前方の虚空を見すえ、その表情は能面のように虚無でありながら、官能的な気配をそこはかとなく漂わせている。そして、無駄な体の動きは一切ない。うら若い女性の打ち手も同様だ。総勢12名の打ち手が一斉に太鼓を打ち鳴らすと、聞く者の内臓まで音が染みとおってくる。まさに一糸乱れぬと言ってよい演技は、息を呑む迫力と技の極致を感じさせた。江戸時代に、将軍の前で演奏して見せても、大いに喝采を得るのではないか。とにかくこれは、単なる同好会やボランティアの保存会の芸ではない。時代を超えて完成された伝統芸能である。
 帰りの新幹線に乗車する前に、八重洲ブックセンターに寄った。参考資料を購入し、数学書コーナーに『算聖伝』があるのを確認し、1階の歴史・時代小説の棚に移動すると、『怒濤逆巻くも』以外の3冊があった。

12月4日(木)「鳴海風が聞く山の音とは、の巻」
 時間がなくてなかなか読書できない。未読書籍がひたすら増え続けている。小説家として恥ずかしい。
 上京時の新幹線車中は絶好の読書タイムとなるので、今回は、川端康成の『山の音』を携行した。昭和29年4月に刊行されたのが最初らしく、昭和32年に文庫化されてからでも、この本は第86刷である。ロングベストセラーというのも気になるが、以前読んだ書評で、老人が主人公であり、彼の家族(主に子供たち)の意に反した素行が綴られていることと、老いの実感を「山の音」に聞くという点が非常に興味をそそられた。若いときには決して手に取ろうとは思わなかった作品だろう。
 私が生まれた頃の時代が背景になっているため、現代とのギャップは激しい。しかし、それを超えて、共感できる老人の悲哀が身につまされる。60歳を超えたばかりの主人公は、決して人生に手を抜いたりもしなかったし、社会的には成功した部類に入るはずにもかかわらず、子供らのことで悩みを抱え、また青春時代の未練が懐かしくも哀しくも頻繁に脳裏によみがえる。いつの時代でも普遍的なことであり、自然の摂理でもあろう。主人公の目を通して描写される自然の風物の営みが、止めることのできない時間の経過を重く見せつける(私もよく使うテクニックだ)。
 違和感のある文章も多いが、傑作の一つであることに異議を唱える者はないだろう。だからと言って、決して、私の好きな作風とは言えない。暗い。救いが欲しい。あとは死を迎えるしかない老人の人生に、自身の存在がなくても明るい未来というのは、アンマッチなのだろうか。昨日聞いた和太鼓の、生命感あふれる勇壮な音の芸術の方が好ましい。私は、老人を主人公にした明るい作品を書きたいと思う。

12月5日(金)「アホなミャウリンガル・・・の風さん」
 いつものことだが、帰宅し、玄関のドアを開けて入ると、ワイフが迎えてくれる。駐車場に入れるミッシェルの音を敏感に聞き分けて、してくれる行為だ。たいていシルバーも(最近はチーズ・カマ・ペコも)のそのそと歩いてくるので、動機の違いを理解しなければ、ワイフの行動は猫と変わりがないことになってしまう。
 そんなありがたいワイフの迎えがあっても、ついくだらぬジョークが口をついて出てしまう。
「相変わらず、玄関に靴がいっぱいじゃないか」
「おめかけさんが多いんじゃない?」
「いや、分散させているから、こんなにあるわけがない」
 帰りに電気店で買ってきたボタン電池SR626SWを、親指サイズの置時計に入れてやった。これは一昨日の展示会でもらった物で、箱を開けてみると針が止まっていた。時計用ドライバーを用いて分解し、外したボタン電池をテスターでチェックすると、電圧がほぼ0ボルトだった。デザインが女性向だったので、さっそくワイフの所有物となり、その機能回復をはかったのだ。
 見事に動き出した。
「おい。動き出したぞ」
「やっぱり電池だったのね?」
「当たり前じゃないか。ぼくの診断結果に間違いなどあるものか!」
 チーズ・カマ・ペコが寄ってきたので、ミャウリンガルを起動させた。感度は「High」である。
 押したり引いたりしたがちっとも鳴かない。
「ペコちゃん」
 声をかけたら、私の声に反応して翻訳が始まった。「チューして(ハートマーク)」と出た。何だ、この翻訳機は!? アホか。今度は、チーズ・カマ・ペコをミャウリンガルでつついたが、それでも鳴かない。
「ペコ。鳴け!」
 また、私の声に反応して翻訳が始まった。「わたし、体がほてるの(ハートマーク)」
 げっげえ〜! 私の声はさかりのついたメス猫の鳴き声と一致するらしい。
 走り去るチーズ・カマ・ペコへミャウリンガルを投げつけそうになった。

12月6日(土)「ART BOX NAGOYA 2003・・・の風さん」
 例年、この時期、名古屋の竹中工務店の設計部が文化祭のようにささやかな、それでいてメッセージ性の高い作品展を開く。ART BOX NAGOYA **** という。
 今年のART BOX NAGOYA 2003のテーマは、「滋味」−【jimi】−。
 最終日の今日、名古屋へ買い物に行く長女を送りがてら、ミッシェルで出かけた。
 「tasty ”Artizan” faces   J.Ohnishi讃へ」は、紙を切り抜いて、その切り抜いたものと切り抜かれたものを折ってまた組み合わせて作ったアートである。説明は技術的になってしまうが、実に美しい造形になっている。抜いた側と抜かれた側が、互いに一歩も譲らぬ自己主張をしながら(つまりどちらが主役か既に分からなくなっているほどの調和で)、全体の美を形作っていた。
 「銀花」は、毎年、その製造方法にも卓越したものを見せる作者の作品である。これは、何らかの方法で中央を複雑な形状にくり抜いたガラスを何十枚も立方体のようになるまで重ね合わせたものである。側面から見ると、加工の仕上がりは極上だ。また、それぞれのくり抜かれた形状は上から下へと小さくなっていて、重なる断面はない。ガラスなので、そのくり抜かれた断面はざらざらとしている。しかし、さらけ出された加工面は、素材にとっては傷口と言ってもいいのに美しく見え、逆に側面の透明なガラスを通して見える加工面はむごたらしく白濁した姿をのぞかせている。どことなく哲学的な印象がありながらも、それらを同時に見せるという一種の光の魔法である。
 「有限サイクル」は、技術屋らしい発想の、アイデア賞を上げたい作品。互いに180度対向しながら円を描く鉛筆が2本立っている。それを90度の位相遅れで追いかけながら消していく消しゴム。円を描き続けるためには、鉛筆は削り続けなければならず、その削りカスは中央へと集まる。同時に、消しゴムが消したゴムカスも中央に集まる。その集まった物を合成すれば、また何かが再生されそうな・・・。理屈っぽい鳴海風が気に入ってしまった作品である。
(著作権は、竹中工務店名古屋支店勤務の各作者に帰属する筈で、盗作しないようにお願いしたい)
 以上、3つだけ紹介させてもらったが、今年は手の込んだ作品、ユーモアにあふれた作品が多く、非常に楽しむことができた。すべて、感性の結晶である。

12月7日(日)「また徹夜してしまったぞ・・・の風さん」
 来週のスケジュールをフィックスしなければならない時期になっている。行動計画と同時に移動手段や宿泊手段も決めなければならない。そのための最大の懸案事項が17日の講演準備だった。
 リファインする作業は前日まで続くだろうが、基本的なシナリオを先に決めておかなければならない。そのために、昨夜はひと踏ん張りすることにした。本日、早朝にバスでディズニーランドから帰ってくる次女を迎えるため、ワイフは早々と寝てしまったから、徹夜にもってこいの夜となった。
 とりあえず必要以上の分量のファイルを用意できた。これから少しずつ分かりやすくリファインしていくことになる。当然、分量は減らし、内容を平易にもっていく。
 既に夜が明け、次女も6時頃帰宅したようだ。朝食と入浴のために階下へ降りていったら、ワイフはソファで、次女は自室でダウンしていた。横目に見てせせら笑っていた私だったが、まもなく私もダウンしてしまった(笑)。
 昼食後、再び雑用に追われた。外置きの石油タンクに給油し、メールチェック、気まぐれ日記の更新、レシート類の整理、手紙を書いて、ケータイのメモリダイヤルを整理し、ようやく15日の上京と17日の講演スケジュールの概要が確定できた。最終決定は明日になるが、ほぼこれで行けそうである。
 その時点で、既に夕食となり、久々のトレーニングも図書館も行けなかった。
 次女からディズニーランド土産にミッキーマウス型リゾートバスのチョロQをもらった。円軌道を描いてぐるぐる走る。面白い。
 さてと、あとは、寝るまでメール交換と読書にあてて、今夜は早目に寝ることにするか。
 ・・・と思っていたら、地元のケーブルテレビの「図書館だより」で、拙著が紹介されるという知らせがあった。早速テレビの前に陣取って待ち受けていると、いつもお世話になっている司書の方が、郷土資料の中の「今月のお勧め」として『円周率を計算した男』を紹介してくれた。明日は休館日だが、明後日まで覚えていてくれるかなあ。

12月8日(月)「夫婦の会話・・・の風さん」
 帰宅時のワイフとのジョーク合戦その2。
 今日はカバンが重かった。アシュレイが入っている上に、本が3冊も入っていたから。
 「ただいま〜。はい。カバン重いぞ」
 「わー、すっごい重さ。愛人が入ってるんじゃない?」
 「愛人をうちへは連れ込み・ま・せ・ん〜」
 「ほら、白状した」
 「返せよ、愛人の入れ物」
 夕食後、子供らに先を越されないうちに入浴し、さっさと書斎へ入った。
 メールチェックしていたら、興奮してきて、長〜いメールばかり書いてしまった。
 疲れ果て、下へ降りて、高麗人参でパワーを補給していると、ワイフが猫に破られた襖のカバーを取り替えていた。明日、ワイフの友達が遊びに来るのである。ボロボロのカバーを取り替えるのは、一人では大変なので、手伝った。所定の長さにカットしたカバーを、両面テープで襖に貼る作業だ。
 「どうだい、二人でやると楽だろう? 以前は、ぼくが一人でやったんだぜ」
 「(無言)」
 「ほら、もう終わった。どうだい、持つべきものは?」
 「両面テープ」
 このあとは、もう何もする気にならなかった。

12月9日(火)「ゴキの筋肉チャンピオンか・・・風さん」
 昼頃、会社のトイレに入って、洗面所で手を洗っていたら、目の前の鏡に怪しい影が映った。顔を上げて鏡に見える風景とは、天井である。そこにハッキリ映っている赤茶けたシミのようなもの。それは何だ?
 振り返って、天井を見上げると、中型のゴキであった!
 寒い季節になって、動きの鈍いゴキだが、床の上より天井の方が、温まった気流がよどんでいて、ウトウトするにはもってこいなのだろう。これが自分の家だったら、すぐさまゴキジェットで昇天させてやるのだが・・・。
 午後、再び、トイレに行ったら、まだ同じところにへばりついていた。
 夕方、また行ったら、まだしつこくそこにいた。さかさまで疲れないのだろうか? まさかゴキの筋肉バトルではないだろうな。んなバカな。

12月10日(水)「京子ちゃんはどこへ行った?・・・の風さん」
 ハセキョー(長谷川京子)の2004カレンダーを入手して、がっかりした。
 年甲斐もなくハセキョーに熱を上げた私を不憫に思ったワイフが、クリスマスプレゼントにハセキョーの2004カレンダーを注文してくれた。ところが、品名か品番を間違えたらしい、変なものが届いた、とワイフが言うので、それなら気持ちだけありがたくもらっておいて、現物は自分で手に入れようと、インターネットで注文した。
 ところが、ワイフの注文したハセキョーの2004カレンダーが、突然、今日、届いたのである。
 もしかすると同じ物が二つになってしまうかもしれない。それでも、ハセキョーのカレンダーなら、あっちに飾って、こっちにも飾って、と楽しめる。ホクホクしながら、届いたカレンダーを開けてみたら、絶句。いきなり表紙の写真が、1994年の写真なのである。10代の長谷川京子である。少々倒錯気味ではあるが、私はロリコンではない。「うっそー!」とばかりに、次々にめくっていくと、「あれれ〜?」、1994年から1996年までの写真しかないのである。これで、2004カレンダーなどと言えるか!? いや、言えるわけがない(修辞法なんか使ってどうする?)。
 ぼくが欲しいのは今のハセキョー、2004カレンダーが欲しいのだ。

12月13日(土)「歩くガス屋さんになると決意した日の巻」
 昨日も一日中忙しくて、夕方さっさと帰ったのだけど、イマイチ仕事に集中できなかった。
 ・・・で、早寝したので、今朝は8時に起床できた。8時間寝ると、何とか元気に起きられる。
 元気なせいか、来週の講演の準備がはかどった。
 午前の休憩のときに階下へ降りたら、下のトイレで水の流れる音がしていた。覗いてみたら、水が出っぱなし。よくあるストッパーの不具合だろう。居間でゲームをしている長男がやったのだろう。不器用なヤツは何をやらせてもダメなものだ。タンクのフタを持ち上げて、ストッパーになっているゴムのボールの位置調整をして直した。我が家では、私は「歩く広辞苑」以外にも、「歩く電気屋さん」「歩く水道屋さん」との異名を持っている。
 昼過ぎに、ワイフが呼んだガス屋が来た。最近、給湯器が異常に高い音を発するので、点検に来てもらったのだ。屋外の壁にとりつけてある給湯器のフタを開け、実際に点火して音を出してやると、「あ、これなら、すぐ直りますよ」と言いながら、あっという間に直してしまった。ガスと空気を混合して燃焼させているのだが、ガスの流量が少ないと、こういう音がするという。バルブを開いてガスの流量を増やしただけらしい。
 「支払い、いいですか?」
 どうやらサービスではないらしい。
 「はい、いいですよ」
 待つこと3分。請求書を持ってきた。4850円也。高ぇー!
 次からは自分でやろう。

12月14日(日)「蜜柑狩りとワックスがけの関係・・・の風さん」
 少し寝坊した。週末にディズニーランドへ行った長女が帰ってきて、そのお土産がテーブルにのっていた。クリスマスバージョンのミッキーのオーナメントで、書斎のドアにかけておいた。
 「これから蜜柑狩りに行くんだけど、あんたも行く?」
 唐突にワイフが切り出した。
 「1本買っておいたのか?」
 「ええ」
 このあたりは蜜柑の産地である。贔屓するわけではなく、本当に美味しい蜜柑ができる。形は悪いが、甘いのだ。近所で1本丸ごと売ってくれる農家があり、今年もワイフが買っておいたらしい。小説家として、蜜柑狩りぐらい経験していないと恥ずかしい(なんのこっちゃ)。もう収穫期としては遅いくらいだ。
 で、朝食後、二人で出かけることになった。ミッシェルで30秒(30分の間違いではありません)の距離だ。
 小春日和の中、蜜柑狩りとしては暑いくらいだった。
 なるべく小さな木を選んだそうだが、蜜柑は上から下までびっしりと実っていた。上の方ほど色鮮やかで眩しいほどだ。ワイフからハサミの使い方を教えてもらって、さっそく作業を開始した。
 最初は面白くて夢中になってやったが、いくら切り取っても切り取っても終わらない。梅のように曲がりくねった枝が、頭や顔に当たる。上の方は、脚立に上がらなければ手が届かなかったから、ひどく疲れた。
 1時間の作業で、ざっと数えて500個は取れた・・・と思う(小さいのもたくさん交じっているからね)。
 ミッシェルまで運ぶのはちょっとしんどいので、木の近くまでミッシェルで侵入することにした。
 通る道の選択を誤った。軽トラなら平気で通る道だが、左右から木々の枝が伸びていて、それがミッシェルのボデーをこするのである。目一杯速度を落としても、キーキー音がしていたから、傷がついたかもしれない。・・・到着して点検すると、「ひどい傷だわ」とワイフ。横へ平行線が何本も引かれていた。まるで数学の授業の黒板だった。
 疲れもあったが、精神的なものが大きい。落ち込んで帰宅し、昼食後、重大決意をした。
 「洗車してワックスをかけてみる」
 実は、昨夜、知人の通夜のため名古屋までミッシェルで出かけ、帰りに高速で虫がフロントガラスに激突したので、自動洗車してきたばかりだった。しかし、さっきの無理な通行で愛車を傷つけたことは、今後の自分の人生に影を落とすかもしれないと・・・(大げさ〜)、何年ぶりかのワックスに挑むことになった。
 ゴム長をはいて、ホースをつないで、水洗いをし、水分を拭き取った後、古〜いワックスを塗りたくり、丹念に磨き上げた。ほぼ2時間の作業であった。
 結果、傷はすべて消えた。
 なぜ、そんなうまい具合に傷が消えたか。それは、68000kmも走行したミッシェルである。塗装の最表面はほとんどなくなっており、磨き上げると、布に色が少々落ちた。つまり、ワックスがけは、塗料を削り取るほどの効果があったからだ。
 朝から蜜柑狩りとワックスがけで、疲労困憊してしまい、1時間ほど昼寝することになった。
 で、今日も、トレーニングには行けなかった・・・というか、蜜柑狩りとワックスがけがトレーニング代わりとなった。

12月15日(月)「恒例行事は外せない・・・の風さん」
 迷いに迷った15日だったが、決行した。
 午前中は早朝から出社して仕事。これがかなり高密度で、ほとんど息を抜く時間がなかった。
 電車の時間を気にしつつ退社。途中で明後日の講演で使うレーザーポインターを購入。さらにコンビニで昼食用におにぎりを買ってから電車に駆け込んだ。ミッシェルは会社の駐車場に置いたままだ。
 名古屋できわどいタイミングでのぞみに乗り継いで、ようやく気持ちが落ち着いた。すると、空腹が気になり、おにぎり2個をお茶で流し込んだ。ここで居眠りをしてしまうと、また充実感が薄れて後悔が身をさいなむことになるので、気力を振り絞って持参の文庫の短編を1本読み、さらに別の1冊の冒頭部分を読んでいたら、やはり睡魔が襲ってきた。無理していると正直に体に出る。
 名古屋地方も東京地方もかなり良い天気だったが、所詮、師走は師走。日が暮れるにつれて、どんどん寒くなってきた。バーバリーのマフラーが重宝する。
 毎年、新鷹会の忘年会は新宿の山珍居という台湾料理店で開催される。恒例行事だ。それでも、代々木八幡から向かうと、バスを利用することになり、まともにたどり着いたことがない。今夜は新宿駅から歩いたので、迷うことなく到着できた。
 会社の飲み会はクルマで帰るので、全く飲むわけにはいかないが、東京では平気で飲んでいる(乗ろうにもミッシェルは遠く愛知県に置いてきた)。ビールや水割りは大量に飲むと、お腹が張ってきてパンクしそうになるので、最後は紹興酒の類いをちびちび飲んだ。来年も「代表作時代小説」に会員の作品が載るという喜ばしいニュースがあったが、肝心の「代表作時代小説」が来年で廃刊になりそうだという悲しい知らせもあった。昔から「代表作時代小説」に作品を掲載するのが夢だったから、目標がなくなるというのは、ひどく力が抜けるものだ。
 山珍居の後は、これも恒例で、新宿まで徒歩で移動し、おらんだ屋敷という居酒屋へ入って2次会となった。私はかなり酩酊していたが、少々浮かれていた。来年から「大衆文芸」の編集をまじめに任されそうな雲行きで、かなりの負担なのだが、現編集長の伊東先生がますます多忙になるとのことで、断りきれないし、できれば力になりたいと思うからである。
 さんざん飲んで食べた挙句、やはり帰りのバスの時間が気になった私だけ、先に仲間から離脱した。
 まるで集団出稼ぎ人か季節労働者みたいだが、東京駅地下のトイレで、歯を磨いたり、ヒゲを剃ったりして、さっぱりして夜行バスに乗り込んだ。明日は、会社の仕事である。

12月16日(火)「夜行バスで帰宅した夜は新幹線で次の目的地への巻」
 6時少し過ぎに名古屋に着いた。頚椎症で首が痛くて、つらい夜だったけれど、それ以外は問題なかった。さっそくどこかで朝食を、と名古屋駅の周囲を歩き回ったが、ほとんど開店が7時以降だったので、諦めて、電車で勤務地へ向かった。
 ミッシェルは夜露に濡れて私を待っていた。可哀そうだったが、ワックスがけしたばかりだから、許してくれ。
 駐車場から出張先の工場へ向かった。途中、コンビニでパンを購入して朝食にした。一人だけの食事はいつも質素である(あはははは)。
 1日中、来年から勤務することになる工場にいた。おかげで、来年の準備もはかどった。
 夕方、まっすぐ帰宅し、二日ぶりにシャワーを浴び、夕食を食べ、すっかり着替えると、今度は電車に乗って名古屋へ向かった。そして、9時半頃ののぞみに乗って、京都へ着いたのは、10時過ぎだった。京都駅近くのホテルにチェックインしたのは10時半ころ。明日は、嵯峨野高校で特別講義である。

12月17日(水)「どんな講演でも収穫はあるさ・・・の風さん」
 待望の嵯峨野高校での特別講義である。
 夕べは用意した資料をチェックしておいたし、睡眠も十分とれたので、今朝は爽快に目覚めることもできた。
 嵯峨野高校には特別講義の1時間半前に到着し、会場でのパソコンのセットアップを終了した後、かねてお願いしてあった校内見学をさせていただいた。
 前もってホームページでチェック済みだったので、確認しながら歩いただけだが、案内してくださった先生が、校舎の窓から見える、周囲の景色を詳細に説明してくださったので、初めての嵯峨野の周辺に史跡が実にたくさんあることを知り、近いうちにまた来たいと強く思った。
 授業を受けている生徒らの姿も見学でき、かなりまじめな校風が想像でき、もしかすると私の難しい講演でも理解してくれるのではないか、と大いに期待感も湧いた。
 特別講義には2年生160人が集まってくれた。全員、今から何が始まるのだろうか、と興味に満ちた顔を向けてくれたので、最初は力が入った。
 しかし、いくつも仕掛けた「笑いの仕掛」に反応してくれない場面がだんだん増えるにつれて、私のエンジンも不調になってきた。焦れば焦るほど説明がくどくなり、かえって、また生徒らを混乱させることになった。
 会場内には睡眠学習に移行する生徒がぐんぐん増えて、とうとう私は敗北を認めざるを得ない状態になった。いくらかやさしくしたつもりではあったが、まだまだ難解な内容だったに違いない。
 こういうときは、スライドを諦めて、生徒の方に向き直って、語りかけたり、質問に答えたりした方が良かったような気がした。でも、それに気付いたのはだいぶ後のことで、後の祭りとはこのことだ。
 先生とはかなりコミュニケーションができて良かったし、今回の講演においても多くのことを学ばせてもらったので、それはそれで収穫だったのだが、自主睡眠学習に入ってしまった生徒らには、申し訳ないことをしたと思う。
 昼食後、渡月橋のあたりを散策してから京都駅へ戻り、さっさと帰宅した。
 やはり疲れている。

12月18日(木)「女房を質に入れなかった後悔・・・の風さん」
 昨夜寝る前に飲んだ黒ビールが効いたのか、ぐっすり眠れた。寒さと疲労で風邪をひいていないか、少し心配だったのだが、どうやら大丈夫らしい。明日は明日で、横浜方面へ出張になったので、会社では、超高速業務処理を心がけた。
 帰宅したら、我が家の周囲の植木類の剪定が終わっていた。昨年に続き、シルバーさんがやってくれたのだ。冬枯れとも言えそうな寒々とした状態である。ついでに雑草までむしっていってくれたそうだから、張り切って仕事をしてくれた姿が彷彿とした。
 「ところで、あなた」
 ワイフが真面目な顔を向けてきた。一体何事だろう?
 「隣りの敷地も今朝草刈りをしていたのよ」
 「伸び放題だったから当然だろう」
 「その後、神主さんが来て、地鎮祭をやったのよ」
 「ええ!」
 一昨年、隣接する土地が売りに出された時、買うかどうか真剣に迷った。ことわざでは、隣接する土地が売りに出されたら、女房を質に入れてでも買え、と言われている。迷うべき問題ではなかった。しかし、購入してすぐ使う目的がはっきりしていなかったし、やはり女房を質に入れるわけにはいかなかった。
 だが、こうして地鎮祭があったという話を聞くと、後悔先に立たずということわざも頭に浮かんできてしまう。
 「やはり、女房を質に入れてでも、あのとき買っておけば、今ごろ、お前のトールペインティング教室に通ってくる生徒たちの駐車場にはできたよなあ」
 「でも、あなた、今日、地主さんが挨拶にみえて、ログハウスみたいな家が建つそうよ」
 「お前、何をうれしそうに言っているんだ。そんなカッコいい家が建ったら、うちがみすぼらしく見えるだけじゃないか」
 私は別の意味で女房を質に入れなかったことを後悔し始めていた。

12月19日(金)「女房好きなら枕も好き・・・の風さん」
 横浜方面へ出張するため、5時半に目覚めた・・・が、ワイフがいない。そんなに早く起きている筈はないので、ダンナの代わりに居間のソファで死んでいる可能性大。
 はたして、そうだった。
 身支度を整えて、朝食をとるために階下へ降りた。
 「下で寝ると風邪ひくよ」
 「だって、私の寝るところがないんだもん!」
 「?」
 「私の枕で寝ていたわ!」
 「それはね、坊主憎ければ袈裟までも、の逆で、女房好きなら枕も好き、という意味だよ」
 「信じらんなーい」
 最寄の駅発6時37分の急行で名古屋へ出、のぞみに飛び乗った。
 出張先のメーカーは非常に誠実に対応してくれて、満足して仕事を終えることができた。
 できれば、横浜付近まで来たので、夜は悪い遊びに走って、東京泊としたかったのだが、天の神は悪事を見逃さない。謀計はすべて不成立となり、同僚らと一緒に帰名することになった。
 当地は、この冬一番の冷え込みで、雪がちらついたらしい。

12月20日(土)「クリスマス・ウェディングの巻」
 会社の部下の結婚披露宴に出席するため、少し早起きして寝室のカーテンを開けたら、外は銀世界だった。
 暖冬を期待していたのに、今年はしっかり冬が到来しそうだ。
 感慨を抱いている余裕はないので、さっさと起きて、30分早く最寄の駅まで歩いた(積雪なのでクルマで送ってもらうのは無理)。しかし、電車はなかなか来ず、結局、当初予定した電車より遅い発車時刻の電車に乗った。
 その電車から地下鉄に乗り換え、さらに別の路線の地下鉄に乗り換えて、目指すイベントホールへ歩き出したのだが、どうも風景がもらった案内図と違う。不安になって、向うから歩いてくる人に尋ねたら、まだだいぶ先だという。それで、もう一度、案内図に書いてある説明を読んでみると、地下鉄の駅からさらに市バスに乗って行かねばならなかったのだ。時間もないので、タクシーをひろってイベントホールへ直行した。1000円もした。
 結婚式はキリスト教式で、聖歌隊による迫力満点の合唱もあり、とても豪華な気分に浸れた。
 披露宴では、私はいちおう主賓ということで、昨夜来熟考したスピーチをしたが、ドヘマをやらかした。ケビン・コスナー主演の映画「フィールド・オブ・ドリームス」を引用して、夢の象徴である野球のグラウンド作りをこれから二人でしてほしい、そして、その夢は親から子へ、子から孫へと伝えられていくものだ、といった話をした。しかし、肝心の夫の夢の実現には妻の支えが絶対必要という話を抜いてしまったので、しまらないスピーチになってしまった。そこで、後からスピーチする会社の仲間に補ってもらった。
 注)ケビン・コスナーが自分のとうもろこし畑をつぶして作った野球のグラウンドが、なぜ夢の象徴なのか。それは、完成したグラウンドに、野球が死ぬほど好きだったのに、無実の罪でメジャーリーグを追放された往年の名選手らが、次々にゴーストとなって現われてそこでプレーしたからである。また、夢が親から子へと伝えられるものだと言ったのはなぜかというと、ケビン・コスナーの死んだ父親も、かつてはマイナーリーグで野球をしていたが、メジャーリーグには上がれなかった。それで、子供であるケビン・コスナーに野球を教え込もうとしたのに、彼は嫌で逃げた。その後悔がいつまでもケビン・コスナーの心の重荷となっていた。最後に、その父親がグラウンドにゴーストとなって現われてくると、ケビン・コスナーは父親とキャッチボールを始めた。映画の最後の最後には、「私たちの親たちへ捧ぐ」といったコメントが出ることでも、この映画のテーマは理解される。
 イベントホールの中は、クリスマスツリーが飾られ、披露宴の途中でサンタクロースが登場するといった余興もあった。窓の外は、まだ雪が降っている。ステキなクリスマス・ウェディングだった。
 しかし私は、スピーチの失敗でどっと疲れた体を引きずりながら、来た時と逆の道順で、帰りも随分時間をかけて帰宅した。

12月21日(日)「鳴海風、ブタに近付くの巻」
 昨日の雪が隣りの空き地では2個の雪だるまになって残った。
 今夕、前回同様、1ヶ月ぶりのトレーニングに行ってきた。筋肉の緊張を感じていた。外は寒風が吹いていて、とても寒いので、上下共にウェットスーツのようなものを重ね着した。
 トレーニング前に恐る恐る体重計に上がると、我が人生史上最重量の数値が現実を訴えていた。この1週間、我ながら超人的なスケジュールをこなしてきたが、どうやらオーバーカロリーで乗り切ってきたらしい。さあ、これから絞ろうにも、会社の連休とトレーニングルームの休日がシンクロしていて、いかんともしがたい。減量は、食事制限に頼るしかないのか。例年、三が日は過食気味となるので、ちょっと恐怖だ。
 トレーニング後の数値。血圧は正常。問題のウェート関連。肥満度はプラス0.9%! 体脂肪率も20.5%! あーあ、こつこつ積み上げてきたものが、一瞬のうちに瓦解したような感じだ。

12月22日(月)「読書タイムは至福の時・・・の風さん」
 職業柄、せっせと本を買い込む。本の寄贈もよく受ける。が、未読図書は増える一方で、消化しきれない。読めば楽しい時間を過ごせることは分かっているのに、である。
 一昨日、楠木誠一郎さんから『うつけ者は名探偵』(講談社青い鳥文庫 670円税別)が届いた。小学校高学年から中学生くらいを対象にした、タイムスリップ名探偵シリーズである。毎回読者カードが入っていて、「次はどの時代にタイムスリップして誰が出てきたらいいですか」といった質問に答えるようになっている。
 楽しみにしている次女に、「楠木さんの本だよ」と渡したら、すぐに開けて「わあー。私がリクエストした信長の話だ!」と歓喜の声を上げた。そして、夕食後。な、なんと、3時間かけて読み終えてしまった。「面白かった。今回の謎、最後までいかなくても分かったよ。クロスワードパズルも解いたし」と胸を張る。恐るべし。「また、読者カード出しておくんだよ」「お父さんは、分かるかな。頭が固い人じゃ無理だよ」「るっせえな」
 ついでに書いておくと、一昨日の出張の往復で、鈴木輝一郎著『ご立派すぎて』(講談社文庫)を、本日夕食前後に、たからしげる著『ミステリアスカレンダー』(岩崎書店)を読了した。余暇がすべて読書タイムだったら、どんなに楽しいことだろう。小説家は書くのが仕事である。

12月24日(水)「何年か前のクリスマスイブ・・・の風さん」
 クリスマスイブである。パーティをするからさっさと帰ってくるようにワイフに言われた。おかしいな。私はもうクリスマスパーティは終結宣言をしたはずだが。
 子供らが小さい頃は、何をやっても楽しかった。それは結局、自分だけが楽しんでいたのに他ならないのだが、とにかく知らない本人は楽しんでいた。人の背丈よりも大きなクリスマスツリーを飾り、そのツリーの下に家族全員分のプレゼントを並べた。5人家族がそれぞれ4人分用意するわけだから、全部で20個も並ぶ。壮観である。これを間違いなく配り終わるのがまた楽しかった。
 そして、さらに、夜中にはサンタクロースになり代わって、子供ら3人分のプレゼントを枕元にそっと置くのが、スリルと同時に快感だった。
 しかし、いつしか子供らが大きくなって、それぞれ好みがはっきり違ってくると、親が頭を絞りに絞って考え、死力を尽くして買い物に走った結果が空しいものとなる事態に直面した。当然のことなのだろうが、夢を見続けてきた愚かな親としてはショックだった。それは、同時に誕生日プレゼントでも起きた。
 そんなこんなで、ぶち切れた愚かな親は、「もう今後、我が家は、誕生日もクリスマスもパーティはやらない!」宣言をせざるを得なかった。
 もう去年のクリスマスイブがどんな状態だったか、忘れていた。
 それが、今年、のこのこと帰宅し、サンルームに特別に用意された食卓についてみると、どうも昔と同じ状況である。タイムスリップしたような錯覚をおぼえた。スパークリングワインをしこたま飲みながら、食事と長女特製のケーキを食べ終わったころ、プレゼント交換が始まった。長女から、次女から、長男からそしてワイフからプレゼントをもらった。が、私は上げる物がない! そりゃ、そうだ。何も準備していなかったのだから。
 それでも、クリスマスイブの夜は穏やかに更けて行った。

12月26日(金)「部下の気持ち・・・の風さん」
 勤務先の年末最終日。
 来年から私は部下たちと離れ、部は同じだが別の勤務地に異動する。
部が同じということは転籍ではなく、単なるローテといったところだ。しかし、勤務地が変わるだけでなく、仕事の内容もかなり異質のものとなるため、事実上は転籍に近かった。
 昼休み前、部下たちがやってきて、突然プレゼントを渡された。
 あれれ? と思っていると、「転籍に近い異動ですし、お世話になりましたから」と言われた。「照れるなあ」と頭をかきながら、実は胸にじんときていた。異色の上司にもかかわらず、よく従ってきてくれた部下たちだったから。プレゼントをもらうより、むしろ感謝の気持ちをこっちが表すべきだった。
 胸が一杯で、返す言葉も満足に言えなかったし、その場でプレゼントをすぐ開けて喜んでみせる工夫も思いつかなかった。
 帰宅して、ワイフに自慢した。
 ワイフが包みを開けると、ベルモットやカンパリー、シェリーといった食前酒に最適な「tokaji」が出てきた。ハンガリーのワインである。最近では、秋田のさゆりさんが、ハンガリーに短期留学していたときに、この酒の報告をメールで送ってきてくれた。
 私はかつてドイツに出張した時、お土産にこの酒を持って帰り、上司に進呈したところ、めちゃくちゃ喜ばれた。で、2度目にドイツ出張した時には、自分の分をたくさん購入して帰ったものだ。日本では見かけたことがなかった。近年、勤務先の会社はハンガリーに工場を設け、盛んに事業拡大をはかっているので、「tokaji」は珍しい酒ではなくなっているかもしれないが、私にはとっては思い出多い酒である。
 異色の上司を喜ばせようと、選びに選んだ部下の気持ちがうれしかった。

12月27日(土)「しんみりとした年末の寒夜の巻」
 もう20年以上も受験生のような年末年始を過ごしている。つまり完全休暇はない。今年もたまっている執筆を進めなければならない。そして、積ん読も減らさなければ(読書も進めなければ)。
 今日は年賀状の準備をした。住所録はつど整理しているが、それでも更新洩れはある。昨年の年賀状の実績、喪中ハガキと今年追加した顔ぶれを眺めて、とりあえず送る方たちを選抜。これで、年が明けると、想定外の方からどさどさっと年賀状を頂戴して毎年焦っているが、懲りない。
 夕方から、元部下のお父さんが亡くなられたので、通夜に出かけた。仲人をしているので、ワイフも一緒だ。まだ56歳という若さで、胃がんだったという。若いときに発病したがんは進行が早いというが、確かにそうなってしまった。長寿社会なのに、もったいないことだ。元部下夫婦には子供がいて、数年後には海外赴任も決まっていて、先が楽しみなだけに、さぞ心残りだったのではあるまいか。
 胃カメラが嫌でバリウムを飲まない方針だが、やはり春ごろには人間ドックを受けてみよう、と思った。
 通夜の会場は豊川市で、ミッシェルで往復した。
 粉雪でも降ってきそうな、冷え込む夜で、ミッシェルの爆音が甲高く空気を震わせた。

12月29日(月)「映画は二転三転して、結局うつけ者は名探偵で決着の巻」
 ワイフと電車で名古屋まで「ザ・ラスト・サムライ」を観に出かけた。
 時間がなかったので、パン屋で昼食を買い込み、映画館まで行くと、行列が取り囲んでいた。係員が「次の上映は立ち見になりまーす」と叫んでいたので、回れ右。
 結局、これもワイフの希望で「ザ・バッド・ボーイズ2」を観た。
 とにかく騒々しい映画だった。
 カーチェイスは迫力があった。二人が乗っているクルマだけ、ほとんど傷付けないので不思議だなと思っていたが、よく見るとフェラーリだった。最近の車種を把握していないので、特定できなかった。後輪をスピンさせながら曲がったり停まったりしていたが、あの程度ならミッシェルでもできそうだ。車重に比べてトルクが大きいミッシェルは、ちょっとアクセルを吹かすと、簡単に後輪がスピンする。新品のタイヤでも、だ。
 あと、二人の会話や銃撃戦が、それこそ区別がつかないほど激しく飛び交う。隠語が多くて耳障りではあった。
 高い所からのカメラワークは、なかなか工夫されていてカッコいい。
 で、結局、小説の勉強になったかと言うと、残念ながら収穫はほとんど「なし」。
 往復の電車の中で、楠木誠一郎さんの『うつけ者は名探偵』を読み終えた。子供のセリフが実にリアルだったのと、戦国時代の時代考証が適度に挿入されていて、さりげなく読者に解説している点が好感がもてた。

12月31日(水)「気まぐれ日記の読者へ捧ぐ・・・の風さん」
 今年、1年を振り返ってみると、例年通りの慌しさに加えて、男50歳、著しく老化を実感した年であった。
 『怒濤逆巻くも』は、無名作家の上下2巻という長編のためか、あるいは内容の難しさゆえか、あまり一般受けはしなかった。それでも、構想から5年、執筆期間だけでも2年半という労力をかけただけの、文化遺産にはなったと思う。初めての小野友五郎を主人公をした小説、小栗忠順の再評価を後押しできたこと、そして幕末を徳川方からの視点で忠実に描いたことが価値である。
 この『怒濤逆巻くも』の出版(5月)以後は、勤務先での仕事が非常に多忙であった。これは部下が期待に十分応えてくれたので、成果も上々吉だったし、何と言っても彼らの成長がうれしい。私は安心して別の仕事に移ることができる(来年から)。
 そのような中、「大衆文芸」への随筆寄稿は例年通りとして、他は「数学文化」(日本数学協会)、「数学セミナー」(日本評論社)だけにとどまったのは、少なかった。
 作家としての講演も、京都大学附属図書館の企画展「和算の時代」での記念講演、京都府立嵯峨野高校での特別講義の二つだけにとどまったのも、やや少なかった。
 著作権者としてうれしいのは、過去の作品が何らかの形でまた利用されることである。視聴覚障害者のために録音テープが作られることは、いつも快諾していることなので、ここでいちいち列挙しない。が、『円周率を計算した男』の影響力には、今年も驚かされた。今年も高校入試で使用されたらしく、これで2校目である。さらに、高齢者のための大活字本化もされて、全国の図書館に配本が始まった。名誉なことである。
 こういった小説家としての仕事を通じて、今年も多くの方々との出会いがあった。これも、小説を書いていて良かったと思える、重要な出来事である。本当に、人との出会いは人生を豊かにするし、一期一会を感じてしまう。
 気まぐれ日記には、鳴海風の行動を差し支えない範囲にとどめて記録している。なるべく読者の視点で面白そうな内容を厳選している。逆に言えば、鳴海風の本当に恥になるようなことは書かない。それで、ついつい「2足のワラジで頑張っているね」「超人的だ!」と言われることが多くなる。年末だから、お断りしておくが、今年ほど老化を強く感じた年はない。だから、ちゃんと休み休み行動している。ときどきぶったおれているのも事実だが、死なない程度には自重しているので、安心していただきたい。
 最後に、1年を振り返ったのは久しぶりのことだ。通常、私は、過去より現在、現在より未来を考える。未来を考えていることがほとんどなので、常に思考は超前向きである。プラスかけるプラス思考である。自分も含めて、人間の能力は無限大だと信じている。リスクを考えるのも、先の成功をイメージするためである。過去の反省があったとしても、それは未来の成功への条件でしかない。そういう意味で、気まぐれ日記は、自分自身への元気付けであると同時に、読者への勇気付けのメッセージである。

04年1月はここ

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